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〈注目の実務家教員インタビュー〉【第4回】清泉女子大学・安斎徹教授『教育への情熱とひたむきな努力が、学生の成長につながる』

教育人財開発機構 編集部 2021.02.18

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〈注目の実務家教員インタビュー〉【第4回】清泉女子大学・安斎徹教授『教育への情熱とひたむきな努力が、学生の成長につながる』
【プロフィール】

1984年一橋大学法学部卒業。新卒で三菱UFJ信託銀行株式会社に入社し、2012年3月まで勤務。28年にわたり、営業・企画・事務・海外・秘書・人事・研修など国内外で多種多様な業務を経験。日々働く中で学びへの思いが強まり、仕事と並行して大学院に通うことを決意。2009年立教大学大学院21世紀社会デザイン学会修士課程(社会デザイン学)、2015年早稲田大学大学院博士課程(博士(学術))を修了。2012年4月以降は群馬県立女子大学教授、目白大学教授などを務め、大学教育に携わる。教鞭を執りながら、社会デザイン学会監事、日本ビジネス実務学会監事、国立女性教育会館「男女の初期キャリア形成と活躍推進に関する調査研究」検討委員、日本能率協会「KAIKA Awards」検討委員なども務める(すべて2021年2月現在も継続中)。そして、2020年4月から清泉女子大学文学部地球市民学科教授に就任。日本で唯一の地球市民学科で、グローバルな視点を持って地球社会に貢献できる人材の育成に邁進している。

[企画概要 ~Outline~]

高等教育機関で活躍されているさまざまな実務家教員にインタビューを敢行。インタビューを通して、実務家教員の仕事内容をひもといていきます。
 

第4回では、2012年4月以降、群馬県立女子大学や目白大学などで実務家教員に就任され、2020年4月より清泉女子大学で教鞭を執られている、安斎徹(あんざいとおる)教授を取材。業務についてはもちろん、実務家教員を目指したきっかけややりがいをお話しいただきました。(教育人財開発機構 編集部)

〈実務家教員になるまで ~Before~〉

Q:働きながら大学院に通われていたと伺いましたが、なぜ入学を決められたのですか?
大学院へ入学した理由は「自分でキャリアを変える力がほしかったから」です。そう考えるようになったのは、勤務先の先輩が高校の校長に転身されたときです。その先輩は当時50代半ばだったのですが、見事25倍の倍率を突破し、公募で転職されたのです。そんな姿を見て、「年齢問わず、自分の意思でキャリアは変えられるのだ」と驚きました。私も教育界に転身したいと漠然と思いましたが、「一企業の限られた知識や経験だけでは教育界への転身能力がない」と思いました。そこで、自分の価値が高まるよう、「+α」の魅力をつけようと思い至ったのです。問題は、どういう部分で付加価値をつけるのか。キャリアを振り返り、頭に浮かんだのは「人」というキーワードでした。企業における多種多様な業務の中で、最も注力していたのが「人材育成」だったからです。今でも思い出に残っている出来事があります。ある部署で総勢100人の社員が懸命に業務に取り組んでいましたが、あまり笑顔がありませんでした。そこで、自分の役割は「笑顔を増やすこと」であると定義し、さまざまな施策を根気良く実行しました。例えば、【1】担当業務の社会的意義に気づけるように仕向けた年次や肩書を超えた勉強会の実施、【2】今週の失敗を語り合い、経済に関するテキストを輪読し、また「仕事とは何か」を考える新入社員向けの金曜セミナーの連続開催、【3】お客様の声を直接聞く機会の創出、などを行いました。そんなことを続けていたら、みんな生き生きとしてきて、数年後には笑顔あふれるとても良い組織になりました。その部署を離任するとき、約100人の社員の心温まるメッセージが記された感謝の色紙をもらい、人を育てる楽しみや喜びを実感しました。そうした経験から、「『人』の周辺領域で専門を磨き、付加価値をつけよう」という考えにたどり着きました。当初は臨床心理士なども検討しましたが、仕事と学業の両立が難しいことがわかり、産業カウンセラーやキャリアコンサルタントの資格を取得しました。また、心理学を学ぶ中で、ユング(スイスの心理学者)の「40歳は人生の正午」という言葉に出合いました。このとき、私はすでに40代半ばだったので、最初は「人生下り坂だな」とネガティブな気持ちになりましたが、この言葉の真意は「中年の危機を乗り越え、人生後半に自己実現を図る」という意味でした。私は「午前と午後では陽のあたる場所が異なり、前半見えなかった風景が後半見えてくる」と解釈し、年齢に対する引け目がなくなり、人生後半への期待感が高まりました。こうして、専門性を磨くために働きながら大学院で学ぶことを決意しました。


Q:実務家教員を目指そうと思ったきっかけを教えてください。
明確なきっかけは学院に通ったこと」です。大学院修士課程で師事した指導教員は、研究室にこもって研究に没頭する大学教員のイメージとかけ離れていました。その教員は、学内だけでなく、学外にも幅広いネットワークを持ち、フットワーク良く全国を飛び回っていたのです。新たな教員像と出合い、異業種・異世代の人たちとも交流し、格段に視野が広がりました。このような大学院生活を過ごす中で、「『人の成長を支援して笑顔を増やすこと』が自分のミッションなのだ」と自覚し、大学教員になることを目標に設定しました。そして、大学教員になるには博士号が必要と考え、引き続き博士課程に進学しました。大学院博士課程で師事した指導教員もまた学識豊かで人間的な魅力にあふれる方で、2人の恩師との出会いに感謝しています。


Q:求人への応募から入職までの経緯を教えてください。また、選考について苦労した点や工夫した点も教えていただきたいです。
現在勤めている清泉女子大学は、博士課程に在学していた10年前から魅力を感じていました。「『社会を変える人』を育てたい」という、自分のやりたいことに一番合致している地球市民学科があったからです。紆余曲折はありましたが、10年越しの夢が叶い、2020年4月より教壇に立つことになりました。今回は特定の大学のケースではなく、一般論として、大学教員の選考についてお話ししたいと思います。私は多くの選考を経験し、複数の大学で教員を務めてきました。大学教員の選考とは何か、自分なりに経験から学んだことをお伝えします。

大学教員の選考も一般的な転職と同じで、書類審査と面接審査があります。書類審査では、基本的に学位・論文・教歴で選考されます。残念ながら近道はなく、地道に実績を整えていくしかありません。特に実務家の場合、最初は教歴がないので、企業内で研修講師を務めたり、ゲストスピーカーとして大学で話すなど、貪欲に機会を捉えていくことをおすすめします。副業が認められ、非常勤講師などを経験できるとラッキーです。面接審査では、「この人でないといけない」という唯一無二のストーリーが求められます。採用する側の視点に立ち、自分の取り柄をしっかりとアピールすることが重要です。転職にかかる期間は人によりますが、私の場合は右も左も分からず、最初に応募してから初めて大学教員になるまで数年かかりました。選考を受ける中で感じたのは、「書類審査が最大の関門である」ということです。どうすれば書類審査を通過できるのか、ノウハウを持ち合わせていなかったので、本当に苦労しました。試行錯誤の末、所定のフォームの範囲内であったとしても、読み手を意識し、わかりやすく、かつ個性的な資料になることを意識するようになりました。

選考全体を通して、自分のアピールポイントや志望動機が、大学の方向性と一致していることも大切です。会社員時代の実績をそのままアピールするだけでは、単なる自慢話になってしまいます。自分の知識や経験が、その大学にとって有意義であることの挙証責任は応募者側にあるのです。そのためには、オープンキャンパスへ事前に出向いたり、HPや大学案内を熟読したり、きちんと下調べをし、大学の方向性を理解することが必要です。もちろん、こうした下調べは面接にも役立ちます。例えば、オープンキャンパスに参加した時の率直な感想を、質疑応答に具体的に盛り込むと良いでしょう。

〈実務家教員になってから ~After~〉

Q:現在の業務や活動内容について教えてください。
私は現在、清泉女子大学文学部地球市民学科の教授を務めています。本学科は日本で唯一の地球市民学科として、21世紀の始まりとともに2001年に設立されました。日本のみならず、諸外国の社会・文化・政治・経済・歴史なども理解し、グローバルな視野を持ち、地球市民としてともに生きる姿勢を大切にする人材の育成に注力しています。授業では、現場を大切にし、国内外で積極的に「フィールドワーク」を行っています。2021年度からは、さらにバージョンアップし、変化の大きな時代を生き抜く力を培う新たなカリキュラムをスタートさせます。

私の教育モットーは「教室を飛び出すこと」です。2020年度はコロナ禍でオンライン教育が常態化しましたが、「陸前高田フィールドワーク」という授業では、「新しい学びのカタチ」を追求し、「バーチャル・フィールドワーク」や「課題解決プロジェクト」などをすべてオンラインでやり遂げました。また、好奇心旺盛で成長意欲の高い学生が集まる安斎ゼミでは、「日本一ワクワクドキドキするゼミ」を目標に、「企画1000本ノック」「リーダー輪番制」など工夫を凝らしながら、さまざまな企業や地域との連携プロジェクトに積極的に取り組んでいます。学生には、少し背伸びするくらいの挑戦を通じて、時には上手くいかず「悔し涙」を流してしまうくらいの熱い経験をしてほしいと思っています。企業や地域、自治体などと連携する際には、「元ビジネスマンである」という経歴が信頼構築の役に立っているかもしれません。これは実務家教員のメリットかもしれないですね。
 
キャンパス内で講義をする安斎先生


Q:民間企業と大学、働いてみて感じたギャップはありますか?
実務家教員は教える役割に注目されがちですが、実際は教えるだけではありません。研究・教育・社会貢献の3本柱のもと、しっかりした研究、授業の実施や学生の指導、外部との交渉や校務の対応など、大学組織の一員としてさまざまな役割を担っています。つまり、教員も民間企業の社員と同様に「組織人」ということです。なので、振る舞い自体は民間企業に勤めていたときと変わりません。その一方で、自由に行動できる自己裁量の範囲が広いことは大きな違いです。実質的に上司も部下もいないので、自分で考え、実行し、責任を取ることになります。もちろん、授業の準備や雑用などもすべて自分でやりくりしなくてはいけません。また、数値目標に縛られず、人材育成に特化できることも企業と異なります。私は「閉塞感あふれる社会や企業に少しでも風穴を開けられるような元気と勇気のある人材を育成したい」という強い思いをもって、きめ細やかな指導を心掛けています。


Q:やりがいは何ですか?
「学生の成長を目の当たりにできること」です。社会(=学生がこれから進む世界)を先に見てきた者として、私には大学と社会をつなげる役目があると思っています。だからこそ、社会がより良くなるよう、学生には社会の良いところも悪いところも伝えています。学生の成長を願い、時には厳しいことも言いますが、それを受け止め(あるいは乗り越え)、目の前の学生が成長していく姿を見ることができるのが喜びです。「会社業績への貢献度」という観点で見てしまいがちな企業の人材育成と異なり、「一人ひとりの成長」に焦点を当てられるので、よりやりがいを感じます。学生が困難を乗り越え、一皮むける場面に立ち会えたときはとても嬉しいものです。社会人経験のある方は覚えがあると思いますが、苦労やしんどさがやりがいや価値に変わることがあります。学生はその経験値が少ないので、とかく困難を忌避しがちです。それでも背中を押した学生が、「ショーペンハウエルの本に『船荷の重い船は安定する』と書いてありました。先生は私たちに船荷をくれていたのですね」と伝えてくれたことがありました。教員冥利に尽きる瞬間でした。

〈これから実務家教員を目指す皆さんへ ~Message~〉

Q:最後に、実務家教員を目指す皆さんへメッセージをお願いいたします。
皆さんにお伝えしたいことは大きく2つあります。

1つは「謙虚な姿勢を忘れないこと」です。いくらビジネスの世界にいたといっても、何でも知っているわけではありません。あくまで一企業における限られた経験でしかないですし、実務を離れればどうしても経験は陳腐化してしまいます。昔取った杵柄をひけらかし、偉そうに社会を語るのではなく、学生が成長するためにどうしたら良いのかを真剣に考え、かけがえのない価値を提供していくことが大切です。学生を自分の知らない未来に送り出すのですから、謙虚さをもって、努力を怠らず、常に知識や情報を更新し続ける姿勢を忘れないでください。

もう1つは「何のために教員を目指すのか、自分に問い直すこと」です。酷な話ですが、教員の採用倍率は高く、最近では学位を持った実務家教員も増えていますので、そう簡単に実務家教員にはなれないのが現実です。そんな苦難に打ち勝ち、実務家教員になるには「教育に対する強い情熱」が必要不可欠です。情熱がなければ選考も通過できませんし、運良く通過できたとしても、学生に見透かされてしまうことでしょう。生半可な気持ちではいずれ立ち行かなくなってしまいます。今一度自分と向き合い、どうして実務家教員を目指すのか徹底的に考え直し、目標に挑む武器として「情熱」を見つけてください。目標の実現にはさまざまな困難が待ち受けているはずです。思い通りにいかない局面に遭遇したとしても、その先の充実感を楽しみに、情熱を失わず、ぜひ研鑽を続けてください。そうすれば、不断の努力が実る日がいつか来るでしょう。 
 
 

※2020年10月に取材した内容を掲載しています。