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〈注目の実務家教員インタビュー〉【第2回】京都芸術大学・夏目則子教授『実務を続けているからこそ教えられる、生きた学び』

教育人財開発機構 編集部 2021.01.04

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〈注目の実務家教員インタビュー〉【第2回】京都芸術大学・夏目則子教授『実務を続けているからこそ教えられる、生きた学び』
【プロフィール】

大阪府出身。同志社大学商学部卒業後、広告会社のオグルビー&メイザー ジャパン株式会社などでマーケティングプランナー、アカウントプランナーとして活躍。その後、2001年株式会社アサツーディ・ケイ(現:株式会社ADKマーケティング・ソリューションズ)に入社。アカウントプランニング本部の局長、海外本部のグローバルアカウントプランナーを兼任し、企業のCSR活動や教育産業のブランディングのサポート、アジアマーケットを探求するプロジェクトなどを主幹。2012年に独立し、株式会社レッドフロッグズを設立。得意分野は消費者の心を探るインサイトの発見、およびそれに基づく戦略デザイン。これまでの経験を活かし、企業の課題解決やコミュニケーション開発など、国内外問わず事業を拡大。大人の女性のためのセルフケア商品を中心とした、オリジナルブランドも展開。一方で、2013年には東北芸術工科大学情報デザイン学部企画構想学科教授に就任。約8年間勤務し、2020年より京都芸術大学情報デザイン学科クロステックコース教授に就任。現在はテック系の事例を盛り込み、授業を展開中。

[企画概要 ~Outline~]

高等教育機関で活躍されているさまざまな実務家教員にインタビューを敢行。インタビューを通して、実務家教員の仕事内容をひもといていきます。
 

第2回では、2013年に東北芸術工科大学で実務家教員に就任され、2020年より京都芸術大学で教鞭を執られている、夏目則子(なつめのりこ)教授を取材。業務についてはもちろん、実務家教員を目指したきっかけややりがいをお話しいただきました。(教育人財開発機構 編集部)

〈実務家教員になるまで ~Before~〉

Q:実務家教員を目指した理由・きっかけは何でしょうか?
ADK時代から部下や後輩が成長していく過程を見ることが好きで、できるだけ役に立ちたいと思っていました。加えてセミナーでの発表やクライアント先での研修など、誰かに何かを伝える仕事も楽しみながら取り組んでいました。そうした中で、「そろそろ自分も何か社会貢献がしたいな」と思うようになったのです。

そんな折、ふと周りに目を向けると、多数の(広告)業界人が大学教員の道へ進んでいました。当時はそうした周りの人たちを見て、漠然とうらやましく感じていましたが、今思えば、その羨望は「大学教員なら次世代人材を育成して社会貢献ができる」という憧れから生まれたのだと思います。自覚はしていませんでしたが、このときからすでに大学教員になりたいという気持ちがあったのかもしれませんね。一方で、その頃は自分自身の仕事にも力を入れたいと思い、独立を考えていた時期でもありました。熟考の末、「2012年6月末で独立しよう」と決断したとき、ボブ田中先生(現:東北芸術工科大学(以下:芸工大)企画構想学科学科長)から「教員にならないか」と声を掛けていただいたのです。実務家教員を目指そうと思った明確なきっかけは、お声掛けいただいたこのときです。「後進の役に立ちたい」「社会に貢献したい」「独立して自身のキャリアも継続したい」など、いろいろな思いが巡っていた時期で、実務家教員ならすべて実現できるのではと強い魅力を感じました。私の思いやお声掛けいただいたタイミングなどが合い、実務家教員の道を歩み始めたのです。


Q:求人への応募から入職までの経緯を教えてください。
先にお伝えしたように、私は実務家教員に憧れを抱いていましたが、「大学教員になるには、最低でも修士号を取得していなければならないから、自分には縁がない職業だな」と思っていました。そのため、ボブ田中先生からお声掛けいただいたときは、学士しか取得していない上、論文発表や書籍出版もしていないので、到底採用されるとは思えず、疑心暗鬼の状態でした。とはいえ、憧れていた職業に就けるチャンスなので、応募を決めました。決断した理由は2つあります。1つ目は、選考を受ける芸工大には、東京で別の仕事をしながら、大学のある山形へ通っている実務家教員が多数いること。2つ目は、週3日の勤務かつ春と夏に学生の休暇に合わせて長期休暇が取れること。その芸工大の環境なら教員と実務を両立できますし、私にも挑戦できるかもと勇気をもらい、応募に至りました

このような経緯により、私の場合は学科推薦での応募になりましたが、採用については一般のプロセスをきちんと踏みました。書類選考→学長・学部長面談→理事長面談という流れです。その当時の選考の内容に、シラバスの提出や模擬授業はありませんでしたが、学科推薦であっても教育個人調書などの大学教員の定型的な応募書類の提出はありましたね。選考を通して注意した点は「いかに実績をわかりやすく伝えるか」です。採用プロセスにおいての担当窓口は教務部でした。当然、教務部の方は広告業界についてご存知ではありません。加えて、私は教員選考において判断基準の1つとなる「わかりやすい研究成果」がなかったので、それを補える実務経験があることを伝える必要があったのです。教務部の方に実績が伝わるよう、研究論文の代わりに、前職時代に力を入れて取り組んでいたプロジェクト資料を複数提出したり、対外的な実績として、新聞や雑誌でのインタビュー記事やセミナー時に活用した資料などを提出したりしました。そうした準備やアピールによって、最終的に採用していただけたのだと思います。


Q:評価されたご自身のアピールポイントは何だと思いますか?
私が「マーケティング領域を教えられる女性であること」だと思います。世の中には女性をターゲットにした商材も多く、女性視点を活かしたマーケティングが求められていることに加え、大学教員は圧倒的に男性が多く、女性でマーケティング領域に造詣が深い方は現状まだまだ少ないので、その点も評価のポイントだったのではと考えています。あわせて、芸工大の企画構想学科がアカデミックな学び(=研究成果)よりも実践的な学び(=仕事の実績)に注力している点も有利に働きました。私は広告会社でさまざまな業種・業態、規模や考え方の企業マーケティングに携わってきました。その領域は国内だけではなく、マーケティングが進んでいる海外の企業にも及びます。外資系のトップ企業をいくつか担当していたことは、わかりやすい実績となり、良いアピールになったと思います。

〈実務家教員になってから ~After~〉

Q:実務家教員としての活動内容について教えてください。
まず2013年から2020年3月まで勤めていた、芸工大の企画構想学科についてお話しします。この学科は企画を専門に学べる日本唯一の学科として、10年前に新設されました。産官学連携プロジェクトが盛んで、アイデア発想から構想化、そして実践まで体験を通して学べる「実践的な学び」が特徴です。実際に授業で取り組んだ具体例を2つご紹介しましょう。1つは、山形県警の犯罪被害者支援キャンペーンの企画・運営です。キャンペーンのプレゼンを行い、47都道府県の中から2県の採用枠を勝ち取ることができました。キャンペーンでは、イベントの運営や取材対応に加え、TVCMも制作しましたね。もう1つは、冠婚葬祭企業と式場を使ったイベントの開催です。3年連続で実施し、企画協賛から当日の運営まで、7~9名ほどの学生にすべて任せていました。ゼミのイメージは、ほぼ小さい広告会社のようなものです。学生にとって大学の4年間が人生のエポックメーキングになってほしいと思いながら、指導しました。ゼミ生の企画力やプレゼン能力は社会人4年目くらいの実力を付けていると自負しています。

現在は芸工大の姉妹校である、京都芸術大学情報デザイン学科クロステックコースで教鞭を執っています。クロステックは文字通り、テクノロジーの力で課題を解決することを学ぶコースです。教える領域は芸工大時代とほぼ同じですが、取り上げる事例をソリューションからテック系へ変えています。起業家志望の学生も多いため、大企業向けのマーケティングだけでなく、ベンチャー起業やスモールカンパニーで活用できるマーケティングも意識した授業内容にしています。いずれもマーケターとして身につけるべき領域なので、私自身教えながら学んでいるという状況です。実務家教員の特権とも言えるでしょう。
 
授業風景


Q:実務家教員として個人的なミッションや大学からのミッションはありましたか?
芸工大に入職したとき、個人的に2つ目標を掲げました。1つは学外のビジコンで学生を入賞させること、もう1つは大手広告会社に就職できる人材を育成することです。この2つを達成することは、必然的に入学希望者を増加させることとより良い就職指導につながります。入学者増と就職指導は大学から教員に対して求められているポイントでもあり、個人的な目標が大学の目標につながった感じですね。

目標を達成するために意識したことは、プロを目指す人材として学生と接することです。「学生だから」と授業や課題のレベルを下げたりせず、現場で働く社会人と同様の評価基準を採用し、指導にあたりました。特に重点的に指導したのは、企画書とプレゼンです。実務経験をもとにどうすれば聞き手に刺さるのか考え、それを学生に教えました。また、マーケティングの分野は変化が激しいため、シラバスもそのままというわけにはいきません。事例を毎年更新するなど、最新の要素を盛り込んだ内容に再編しました。他に、当時は別の先生と共同でクラスを持つことが許されていたので、広告会社出身のクリエイターの先生と広告制作演習を実施しました。実務的な知識の習得はもちろんですが、今まで大手広告会社と心理的な距離を感じていた学生たちの「就職試験を受けてみよう!」というチャレンジ精神も養えたのではないかと思います。


Q:実務家教員として働いてみて感じた、苦労ややりがいを教えてください。
教員の仕事に慣れるまでの数年は苦労しましたね。特に、シラバス作成は大変でした。実務を通し、実践的に身につけてきたマーケティングの知識を、体系立てて15コマのプログラムに分けて教えるという感覚が持てなかったからです。「マーケティングをアカデミックに学ぶというより、運用できる人材を育成する」という学科の特性を加味し、どのカテゴリーをどれだけ深く教えるのか、その深度の調整も苦心しました。

逆に、一番嬉しいのは、学生たちが力をつけていることを実感するときです。実務家教員としてキャリアを重ねていくうちに、私の厳しい批評にも食らいついてきてくれる学生が次第に増え、個人的に掲げた2つの目標も成し遂げることができました。ある学生は大手広告会社の内定をいただき、また別の学生は宣伝会議の販促コンペで学生初のグランプリを獲得しました。後輩たちもその後に続き、いろいろな広告会社に就職していき、各種ビジコンでも入賞常連校として認知され始めました。そうした実績を学生たちが残してくれたおかげで、対外的な評価も高まっていき、達成感を味わいました。さらに、卒業生から「就職してすぐに企画が採用された」など、実務において授業で学んだことが活きたと報告を受けることもあります。そういう言葉をもらうたびに、教員になって本当に良かったと改めて思います。振り返ってみても、苦労よりも楽しいことの方が多いように感じます。

〈これから実務家教員を目指す皆さんへ ~Message~〉

Q:最後に、実務家教員を目指す皆さんへメッセージをお願いいたします。
実務家教員として大学から求められていることは、絶えず世の中の動きに合わせてアップデートした学びを提供することだと思います。そのニーズに応えるためにも、現業を続けながら教鞭を執ることが重要だと考えています。私の場合は実務家教員として教鞭を執りながら、戦略プランナーとして働き、自分でブランドを立ち上げています。つまり、三束のわらじ状態ですね。大変ではありますが、社会とのつながりを少しでも多く持つことで、指導者としてもプラスになっていると実感しています。というのも、実務経験と人生経験を積み重ねると、課題を見つけ解決する力が養われます。それを指導に反映することで、学生一人ひとりが自ら目標を見つけ達成できるよう、手助けすることができるのです。今も現役で実務を続けているからこそ、生きた教えを提供することができる。心の底からそう思います。もし実務がなくなったら、学生たちに多くは教えられないでしょう。例え、私のように現業を続けることができなくても、「学生には常に最新の学びを提供しよう」という姿勢が大切です。これは、これから実務家教員を目指す皆さんにとっても大切なことではないかと思います。
 
芸工大退任時、学生が寄書きをしてくれた様子
 
 
※2020年10月に取材した内容を掲載しています。